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lib14's TRPG library

TRPGに関するメモや随想など

誤解に基づく問題行動とトラブルの回避

 一方でゲームとしてプレイヤーが判断を誤ったり、公正なランダム判定の結果、敗北したりする場合においてもフラストレーションが溜まることがある。この種のフラストレーションの原因はシナリオやマスタリングのせいではない。少なくともマスタリングのせいではない。前述したようにシナリオやマスタリングの不備による不満を[合理的不満]、そうでない不満を[非合理的な不満]と呼ぶことにする。
 どこまでを[合理的不満]と呼び、どこからを[非合理的不満]と呼ぶかは、倫理的議論の対象である。例えば「GMはダイス目を誤魔化すべきか」といった問題がそれに当たる。本論ではそこには踏み込まず、読者が暗黙の前提として想定している境界線があるものとして議論を進める(つまりこの分類の境界線は個々人の主観に依存する)。
 [非合理的不満]にはプレイヤー自身の問題と、時間制約やゲームシステムの不備、ダイス目など、誰の責任でもない問題の2種類がある。前者を[自己原因型の不満]、後者を[環境原因型の不満]、そして[合理的不満]を[他者原因型の不満]として整理しよう。

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プレイヤーは[自己原因型の不満]については、一切不満を言うべきではなく、むしろ悔悟・恥・屈辱等を感じ、次回以降のセッションに向けての教訓を得るべき場面である。[環境原因型の不満]に対しては、TRPG文化の発展のため、不満を口にするのは間違っていないが、そこのことでGMや他のプレイヤーを不快にさせるようなことをしてはいけない。
 問題なのは不満の原因について認識が食い違うことである。例えばプレイヤーが不満を感じたとき、GMは「それはシステムの問題だから仕方ない」と反論したとしよう。それに対してプレイヤーは「じゃあ、何でそんなシステムを選んだんですか!」と不満を露わにする場面だ。GMは[環境原因型の不満]だと思っているので自分に不手際はないと信じているし、プレイヤーは[他者原因型の不満]だと感じているので、開き直っているようなGMの態度が許せないのである。
 このような場面では、互いに相手の立場や気持ちを慮り、それぞれが落としどころをつけなければ、TRPG仲間として関係を継続させていくことが困難になる。ゲームは人を熱くするし、感情移入の度合いが高ければ高いほど、余計に不満も大きくなる。こういう場合、最も冷静でいることが求められるGMが先に折れる方がうまくいくことが多い。
 GMは[合理的不満]が起きないように気をつけることが必要であると同時に、プレイヤーが抱きやすい[非合理的不満]に対して積極的にケアをする態度が求められる。もしかすると[非合理的不満]を[合理的不満]と取り違えてしまうプレイヤーが精神的に未熟であるように映るかもしれないが、そのように誤解させてしまった自身の態度を振り返るべきなのだ。重要なのはどちらが「正しいか」ではなく、プレイヤーの不満を取り除き、セッションをメンテナンスし、プレイヤーの満足を高めることである。議論で相手を論破してもセッションに何の価値も生み出さない。GMが真に卓を支配できるのは、プレイヤーを満足させたときだけである。
 ただし例外がある。ある特定のプレイヤーの問題行動のせいで、他の多くのプレイヤーの満足度が下がっている場合である。こうした場合、問題行動を引き起こしているプレイヤーを説得し、行動を改めるように促す必要がある。
これは倫理(善悪)の問題としてではなく、政治(集団の意思決定)の問題として取り扱うべきである。「マナー違反だ」とか「それは求められているプレイングじゃない」とか「他人の迷惑を考えろ」とか「空気を読め」などと言ってはいけない。問題行動は、他の参加者から見たときにそう見えるだけで、本人にとっては問題行動ではないからだ。それを否定するならば、相手の尊厳を傷つけることになる。「あなたが悪い」ではなく「私が苦しい」というスタンスで行動を改めるように依頼するのが基本的なスタンスであるべきだろう。
 倫理とは、自身の尊厳が尊重される中で、「相手が不快に思っている」「自分が嫌な思いをした」「人に認められて気持ちよかった」などの経験を経て、個々人の中に形成されるものであって、誰かに押しつけられたり、誰かに押しつけたりすることは不可能なのである。自己の中にある基準として意味を持つものであって、集団としてどうあるべきかという問題に対しては無力である。ゆえに倫理観が対立したときは、感情論を持ち出す方がスマートといえる。どんな理論武装も、誠意ある心の叫びに勝つことはできない。