lib14's TRPG library

TRPGに関するメモや随想など

参加性

 TRPG者どうしの合図とか呼吸とか、そういったものがある。車を運転しているときに、道を譲ってくれたお礼にハザードランプを点けたり、「お先にどうぞ」の意味でパッシングを送ったりする。ルールには明記されていないが、そういう空気が実際にはあるわけで、ルールブックを読んだだけでは理解し得ない価値というものがある。リプレイは、そういった空気を伝えるという役割も担っているが、全てを伝え切れているとは思えない。
 セッションという言葉はジャズの用語として使われるが、彼らは即興で演奏(Play)を楽しみ、腕を磨き合うことを楽しみとする。そうした中で自分の腕前を知り、また人の優れた演奏に触れたり、観客との交流を楽しんだりする。観客の中に優れた演奏家がいれば、そういう人からアドバイスを貰うという貴重なチャンスにも恵まれる。
 我々はTRPGに出会いを求めているのかも知れない。それは「居場所」であると同時に、「旅先」でもある。我々が所属するTRPGサークルは「居場所」としての側面が強い。気の合う仲間と結成したクランは「自分はここに居ていいんだ」という基本的自尊感情を育む拠点として大切にすべきものだ。一方でコンベンションは「旅先」としての側面が強い。未知のプレイヤーと出会い、腕を磨き合う。ただ、数多くのコンベンションを渡り歩くようになると、知り合いも増えていき、気づけば全国どこに行っても仲間がいるような状況になってくる。そうなってくるとTRPG業界そのものが「居場所」になるのである。
 あちこちに仲間がいる人間にとって、セッションは同窓会のようなものである。暫くぶりに会う仲間は、「気の合う仲間」であると同時に「新しい価値をもたらしてくれる他者」でもある。楽しかった思い出、苦しかった思い出を共有できる仲間がいることは素晴らしいことで、語りぐさとなるようなセッションのエピソードを積み重ねることが喜びなのだ。
 セッションの場では、ネットスラングやオタク的なジャーゴンが飛び交うこともしばしばある。TRPGの背景世界のモチーフとなっているイメージが、映画やアニメあるいはコンピュータゲームから借用したものも多く、オタクとTRPG者の親和性も高いのだろう。またギリシャ神話やSFの背景にある科学論文などをちゃんと学術的に学んだうえでTRPGを遊んでいる人は少数派だろう。そういった背景をもつエンターテイメント作品を下敷きとして、あくまでサブカルチャーとして楽しむ態度が一般的だと思う。そのうえで、断片的に学術的領域に首を突っ込んでいくというスタンスの人も多いことだろう。
 我々にとって、TRPGを楽しむうえで、サブカルチャーやその背後にある学術的領域に対して、関心をもつことは重要である。ルールブックに書いてあることしか知らないようでは、参加者の会話についていけないし、GMが何かに喩えて説明しようとしても、その喩えが分からないと困る。想像力をはたらかせたり、物語を創造したり、一緒に遊ぶ仲間を楽しませたりする上で、様々な文化に触れておくべきなのだ。
 しかし、自分が知らない話題で盛り上がられると不愉快なものである。知らないものは仕方ない。倫理的な我々は、一般的に知られていないようなマニアックなネタをいきなり振るようなことはしない。時事ネタ、有名なネタ、世代に合ったネタなど、一般的な話題から入り、様子をみていく。自分の世界に閉じこもっている人間がいかに歯痒いか。だからこそ、参加性を求めるのである。
 我々は卓の中で派閥をつくられ、自分が孤立してしまうことが嫌いだ。自分が参加したことのない卓の話題で盛り上がられても不愉快である。だからこそ、孤立しているようなプレイヤー、発言が少ないプレイヤーのことが心配になってくる。倫理的な我々は、色んな人に声を掛け、積極的に卓に関わるように勇気づけたいと思っている。
 我々は「初心者だから分からないよね」とか「世代が違うからついていけないよね」とか「○○さんが参加していなかった時の話ですね」などと言われたくない。だったら、そういう話題は切り出さないで欲しいし、そういう話題を切り出すつもりなら、はじめから私抜きで楽しんで欲しい。もし私に不満があって意地悪をするのならば、どこを直せばいいのかちゃんと教えて欲しい。
 我々にとって仲間は宝である。初めて出会ったメンバーどうしで連絡先の交換ができたら、その卓は成功したと思うほどに。卓を立てたいけれどメンバーが足りなければ卓は成立しない。TRPGは仲間がいなければ始まらないということをよく知っている。仲間を増やすことと、仲間との関係を良好にすることが、セッションを楽しむ上で最も重要であることを知っている。疎外感や孤立感は遠ざけるべきで、仲間として認められることが大切なのである。PCの名前をちゃんと覚えてもらいたいし、「面白い」という感覚を共有したいのだ。