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TRPGに関するメモや随想など

役割性

 ロールプレイングゲームは役割を演じるゲームだという。卓全体の中で自分が果たすべき役割を自覚し、その役割を果たすことは「自分が役に立っている」という充足感を味わうことができる。みんなで協力して敵を倒す感覚や、みんなで1つの物語を創っている感覚は1人では得難い体験である。
 我々は人の役に立ちたいと思っている。それはゲーム内の問題に止まらず、「セッション会場を押さえる」「GMの進行を助ける」「初心者にアドバイスする」といったゲーム外の問題にも押し広げられる。「組織の歯車として機能する」というとネガティブなイメージがつきまとうが、我々にとって頼りにされることが喜びなのだ。
 役割性の高い、クラス制のシステムで遊ぶとき、それぞれのPCが攻略性に基づいて最適解を求めて行動した結果、互いが互いの弱点をカバーし合い、うまい具合に協力プレイが成り立っていることに興奮を覚える。「そこ、お願いします!」とか「すまん、助かったぜ」といったキャラクターの演技も弾み、自然とドラマが生まれていく過程に喜びを感じる。
 お話づくりの領域でも、PCの立ち位置が重要だと考える。我々がよく「主人公枠」「ヒロイン枠」「ライバル枠」といった物語のテンプレートを意識するのは、シナリオが目指している物語とキャラクターが一致しないこと、あるいはキャラ被りすることが勿体ないことだと思っているからだ。それでは誰からも認められないキャラクターになってしまうし、キャラクターを演じることの喜びも味わえないと感じている。ゲームシステムの世界観、シナリオの世界観に沿ったもので、他のPCの役割を侵さないキャラクターが望ましい。
 我々はバランス・公平さといったものを求める。特定のPCだけが活躍するのではなく、全てのPCがそれぞれの役割を果たせば、活躍できるようなシチュエーションを望む。そのうえで各PCが戦闘あるいは物語上、重要なポジションが与えられることを望む。PCそれぞれの目的が達成され、望ましいエンディングを迎えられることを欲する。
 我々にとって重要なことの1つに、キャラクター作成が報われることが挙げられる。キャラクターの役割を意識しながらゲームデータや背景設定などを構築していく中で「今度のセッションではこんなふうに活躍させよう」と期待を膨らめる。倫理的な我々は、ゲームシステムで想定されている役割に適さないキャラクターであったり、ハンドアウトに沿わないキャラクターを作ってしまったりした場合は自分の責任として反省するし、ダイス目の妙やロールプレイの巧拙のせいで活躍できなかった場合は諦める。だがそもそもシナリオ上、全く活躍する機会が与えられなかったことに対しては不満を感じる。「だってそういうシナリオだから」という言い訳は余計に腹が立つ。そういうシナリオの場合、事前に活躍できそうもないことを告知して欲しいのだ。