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TRPGに関するメモや随想など

ヒロインモチベ問題と感情

 ヒロインモチベ-ション問題というのがあったので、少し思ったことを……。

感情移入できないヒロイン

 だいぶ昔に、「洞窟に住む魔獣を倒せ」みたいなシナリオがあって、そのシナリオのギミックとして「実は魔獣は猫の親子」という情報トリックがありました。GMの狙いは「可愛そうと思ったPCたちが依頼人と対決する」というドラマチックな物語を描くことだったのですが、僕は個人的に猫が嫌いで、全く感情移入できなかったわです。「いや、冒険者なんだから依頼を達成すべきでしょう?」って思ったにもかかわらず、他のプレイヤーたちは猫を助けるムードでした。
 オタクって猫好きな人多いですよね(経験則)。猫がペットとして飼われていることは、知識として知っています。しかし僕は幼少の頃、猫に追いかけられ、爪で引っかかれて以来、奴らは人間の世界にいてはいけない野獣だと思っています。個人的には恐怖の対象でしかないのですが、「もふもふしたい」みたいな恐ろしい事を笑顔で口走っている人を何人も横目で見ている内に、世間的には「猫は愛されている」という真実を了解しました。
 プレイヤーの感情移入度を高めるという点で、【引き】によるミッションの提示は優れていますが、一方でプレイヤーの感情を読み違えると事故りやすいというデメリットを抱えています。肝心なのは事故が起きたとき、いかに軌道修正できるかだと思います。
【◎】A:PLが感情移入できて、ドラマチックになる
【○】B:摺り合わせをして、そこそこ感情移入ができる
【△】C:ドラマ性を無視してゲーム処理のみに専念する
【△】D:少数派が感情を押し殺して空気を読む
【△】E:サークルの偉い人が専横的に場を仕切る
【×】F:セッションが崩壊する
 最も望ましいのはAのパターンですが、中々理想通りにいかず、C,D,Eのパターンに行き着くことがしばしばあります。△のパターンは、一時しのぎ的には許容範囲ですが、参加者の不満は蓄積されます。◎を目指して△(場合によっては×)になるぐらいなら、初めから○を目指すべきだという立場が、ハンドアウト制に積極的な立場です。

ハンドアウト制の話

 ハンドアウト制はコンベンションや野良セッションにおいては、合理的なミッション提示手法ですが、ハンドアウトが、あたかも固定されたルールであるかのようにまかり通ることで、プレイヤーの感情は置き去りにされかねません。例えば、気に入らないハンドアウトしか選択肢にない場合や、GMが描写したヒロインが、ハンドアウトに書いてあったヒロイン(期待していたヒロイン)とかけ離れている場合、プレイヤーはどうすることもできず、不満が蓄積されるのです。初対面のGMに対して「もっとマシなハンドアウトはないんですか」とは言えないでしょう。
 提示されたヒロインに対して消極的な態度をとっていると、他のプレイヤーから「ほら、ハンドアウトに書いてあるでしょう?」と窘められることの切なさといったら……。誰も私の感情を慮ってくれない、という感情を胸に秘めたままセッションを終えることになります。そこで「自分一人が感情を押し殺せば、皆は笑顔でいてくれる」という真理にたどり着き、TRPGが嫌いになるわけです。
 さて、「PLの感情とPCの感情は別物であるのだから、PLが傷つく必要はない」という想定される意見についても注釈しておく必要があると思います。僕の意見は「一部は正しいが、一部は間違っている」です。確かにPLの感情とPCの感情は別物ですが、PLはPCに感情移入することができます。特に感情移入することによって物語としての価値を発揮するタイプのシナリオでは、両者を切り離すことは全く愚かな考えだと思います。楽しむことが目的でプレイしているのに、気分が乗らないロールプレイなんて誰もしたくないはずです。
 話を戻して、ハンドアウトは「固定化されたルール」にしてはならないと僕は主張します。「ハンドアウトに書いてあることには従わなければならない」という慣習は概ね正しいです。しかし「ハンドアウトに書いてあることには従わなければならない」という前提は間違っています。それはPLの感情を置き去りにする危険を孕んでいることは先ほど指摘した通りです。でも「ハンドアウトには価値がない」というのも大間違いです。何故なら、ハンドアウトこそがGMの感情を表すものだからです。GMがそのセッションに対して何を思い、PLたちに何を期待し、どんな面白いミッションを提示しようとしているかを表現したものだからです。GMがPLの心を無視するとまずいように、PLもGMの心と向き合うことでより良いセッションに近づくと思っています。
 もっと突き詰めた話をすれば、互いに、互いの心と向き合う姿勢(と少しのコミュニケーション能力)があればハンドアウトは必要ないのです。とは言え、「猫が可愛い」なんてこれっぽっちも想定できなかった、あの頃の僕にはハンドアウトは必要でしたが。
 いずれにせよ、表現力と感受性を磨くことで、より良いセッションに出会える(気づける)という感覚は年々、強くなってきています。システムにだけ依存するのはよくないですが、システムを上手く活用することで自分の少ないコミュニケーション能力を引き伸ばすことはできるはずです。今は猫がヒロインでも大丈夫です(笑)