lib14's TRPG library

TRPGに関するメモや随想など

体験型と創作型

 TRPGの楽しさにはゲーム性(勝ちを目指す過程を楽しむ競技性)や、社交性(皆が集まってわいわいやる)なんかがありますが、その一つに「物語性」なるものがあります。「ロールプレイ重視」だとか「ストーリー重視」だとか、色々な表現があるわけですが、このエントリーでは物語性について深掘りしていきたいと思います。

物語性のフレームワーク

 物語を楽しむ態度には大きく分けて2つの類型のフレームワークがあると思っています。1つは受け手として物語を楽しむ「体験型」と、もう1つは作り手として物語を楽しむ「創作型」です。TRPGでは物語を聞く側に回る場合も、語る側に回る場合もあるので、勿論どちらもやっている事なのですが、参加者間でフレームワークがズレると卓がうまくいきません。
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 野良卓*1GMをやることを想定した場合を想像してみてください。自分が回したいシナリオがどっちのフレームワークで遊んだ方が楽しいかをよく考え、それとは逆のマスタリングをしなければ物語性を損なわずにマスタリングできるはずです。
 かいつまんで説明すると、PLが知っていることと、PCが知っていることに差があるようなシステムと差がないようなシステムでは、GMのとるべき態度が変わります。現代物で一般人をやるなら、GMは情報を開示せず、PCの行動に口だしすべきでないし、ヒロイックな「その世界の特別な人間」になりきって遊ぶなら、GMは情報を明らかにして、PCの行動を積極的に誘導すべきです。

ロールプレイの違い

 PL―PC間情報格差の小さい環境では、PLの立ち位置とPCの立ち位置は近しいものになります。現代物で一般人をやる場合をイメージすると分かりやすいです。PCは勇敢さや善悪に対する価値観や、職業意識、差別感情、信じているものなどについて、私たちとほとんど変わらない感覚を持っています。ゆえにキャラクターの内面を維持しやすく、直感的なロールプレイができるのです。
 一方でPL―PC間情報格差の大きい環境では、その世界では特殊な立ち位置のキャラクターになります。神話の世界で英雄をやるイメージです。PCの価値観や信念はひどくデフォルメされたものになっていて、私たちの感覚とはかけ離れています。キャラクターを演じる際は、映画やアニメの主人公たちのように、現実離れした理想的なキャラクターをお手本にします。

価値観と世界表現

 TRPGで描く物語はつまらない現実とはかけ離れたロマンある物語であるべきです。これはTRPGに限らず、エンタテインメントに共通する価値観です*2。現代物で一般人のロールプレイをする場合、感覚は現実の延長線上にあるわけなので、その意味で現実と何ら変わらないのです。しかし、普通の人が非現実的な体験をするというのは面白いことです。体験型というのは、遊園地のアトラクションを楽しむかのように、空想の世界に没入して、特別な体験を味わうことが物語としての価値なのです。世界表現はGMが担当し、GMがPLを世界に引き込む役割を担います。
 神話世界の英雄になりきることで、「悪がはびこる世界」のような、悪い状態の世界をぶっ壊して、世界を自分(達)色に作り替えるロマンがあります。このカタルシスが創作型の価値でもあります。ヒロイックな世界観は「悪は悪らしく」「ヒロインは善良で感情移入できる」存在であるべきです。何のためらいもなく、気持ちよくかっこいいロールプレイができるような世界観こそ魅力的な冒険の舞台で、困難な挑戦の先に待つ望ましいエンディングに心が引っ張られるのです。

フレームワーク

 プレイング(マスタリング)はそれぞれの価値観が目指すものを実現するために調整すべきです。そのためにGM―PL双方が共有しておくべき考え方が「体験型」「創作型」のフレームワークです。クトゥルフ神話TRPGは体験型、F.E.A.R.系のゲームや冒企系のゲームは創作型であることが多いと思います。D&Dは版によって、レベル帯によって変わります。2つのフレームワークは原則的に相容れないものですが、キャンペーンで遊ぶ場合は例外も起きます(後述)。もしかしたら、シナリオによっては両方のフレームワークを場面に応じて切り替えることが求められるかも知れません*3
 以下に示すフレームワークに関する記述は、僕がそのタイプのシステム(シナリオ)で遊ぶ時に気にしている事や、大事にしている事を言語化したものです。あらゆる場面で次のような考え方が当てはまるわけではないと思いますが、類型のイメージを把握するのには役に立つはずです。

フレームワークのイメージ:体験型

 PL―PC間の情報格差が少ないシステム(シナリオ)の場合は、PLの感覚とPCの感覚は近いので、物語に段々とPLを引き込みたい時や、あっと驚くギミックを見せたい時に有効です*4。しかし逆に、PCに対して何かかっこいいロールプレイをして盛り上げてもらいたいような場合は不向きなフレームワークになります。PCを特別な立ち位置のキャラクターにしたいというPLの要望も却下する必要があるかも知れません。PCは自分自身が学校や会社や休日の街やTVのバラエティ番組などで見たことのある人物、つまり人格やファッションや生活態度が容易に想像がつく人をモデルにするべきです。
 体験型のフレームワークでは、「想像できないこと」は敵です。GMの描写やPLのロールプレイを聞いて、その場面が、自分に十分な画力があると仮定して「イラストにできるかどうか」よく考えるべきです。イラストにできないシーンはたぶん、不適切なシーンです。GMは拙くていいので、位置関係が分かるような地図を描くべきです。あと、できれば、NPCの顔のイラストを調達しておきたいところです。BGMやSEは雰囲気を盛り上げますが、上手に使わないと間抜けになるだけなので、注意が必要です。それから、描写部分であまり難しい言い回しをしないようにして下さい。PLにイメージが伝わらない事がゲームの面白さを損なわせます(ボイセとテキセで表現を変えた方がいい事があります)。また想像力を刺激するのは良い方法ですが、まるでコンピュータゲームのように音や映像などを駆使して「リッチ」な描写にすればよいというものでもありません。これはPLを受動的にしてしまい、物語を求めようとする意欲を奪いかねない手法です。特に体験型の描写においては、適度な分かりにくさもエッセンスになるのです。
 GMはPCの五感の代弁者であって、PCの立ち位置についてGMは判断材料を与えるにとどめるべきです。「PCはPL」「NPCと背景世界はGM」という役割分担は互いに侵してはならないものです。なのでキャラメイクや攻略への筋道について、あまりとやかく言うべきでなく、ゲームの結果に対する責任をPLに感じさせるためにも、常識的に考えて可能であると判断できるあらゆる挑戦を認めるべきです。明らかにPLが状況を誤認している場合等を除き、GMは余計な口出しをしてはならないのです。しかし、暇だからといって、ぼうっとするのではなく、PLの発言や表情には注意を払い、今何を考え、どんなイメージを膨らませているのか、PLの感受性に関心を向ける必要があります。PLがシナリオの難しさを楽しんでいるのか、それともやる気をなくしているのか、気付くことが重要です。GMは楽しんでいるPLに対して何もしないのが仕事です。

フレームワークのイメージ:創作型

 PLが知っていることと、PCが知っていることに差があるようなシステム(中二っぽいやつはだいたいコレです)では、どんなシナリオ展開になるのかをPLに対してぶっちゃけておいて、役者であるPLに指示する演出監督のような感じでPLと共に物語を創造する共犯者でいるべきです。GMはPCに何をして欲しいのかを伝え、PLには表現の余地を残しておくわけです。よって、段々と物語に引き込んでいって、謎を解き明かしていくタイプのシナリオにすべきではありません。裏切り者のNPCを出す場合は、あからさまに「こいつ裏切りそう」と分かるように描写しなければならず、PLに対しては「まだ裏切り者だと分かったわけではないので、騙されて下さい」としっかり説明すべきなのです。
 創作型のフレームワークでは、「見通しが立たないこと」は敵です。GMハンドアウトやトレーラー、マスターシーンなど(たとえシステムにそういうルールがないとしても)を利用して、PLに情報を伝えるべきです。もしPLがPL情報とPC情報を混同しているようなら「その情報はPCは知らないですよ」と言っておけばいいのです。PLに対しては2つの立場をはっきりと切り分けるように促すことが重要です。情報の出し惜しみをしてはならず、秘密の情報がある場合は「これは秘密の情報なのでPCは知りませんが、PLの皆さんにはこっそり教えます」と言います。PLとPCは別人であるということを殊更に強調するのが創作型のフレームワークです。
 創作型の主たる価値は追体験にあります。映画やアニメで見た「あの」英雄になりきって、かっこいいセリフを言ったり、必殺技を叫んだりする楽しみです。あるいは一次創作ということで「僕の考えたキャラクター」が活躍するストーリーを夢想するわけです。そのキャラクターを表現する自由をPLには与えるべきで、少しばかり公式の世界観に合わないからと言って無闇に却下すべきではなく、PLの意思を尊重すべきなのです。英雄はそのゲームの世界観をぶち壊す存在なので、ある種の非常識さを認めるべきです。その代わり「館に火を付けてゴブリンを一掃したい」という常識的に可能だと思われるPLの提案に対して「英雄はそんな事をしない」という理由で却下できるのです*5。常識が通用しないので、GMはPLに対して「彼はどんな英雄ですか?」と質問することは重要です。何かロールプレイをするごとに「それはどういう意味?」とか「元ネタ何かある?」とか、気軽に質問しあえる雰囲気にしなければなりません。PLもメタ発言を忌避せず、「僕のPCは~~という設定があるので××と言います」みたいな感じでPL発言で解説を入れながらプレイしたいものです。PL-PC間の情報格差が大きいということは、PCの考えていることは他の参加者と共有できていないということですから、説明は不可欠です。気心の知れた仲間内でさえ、説明抜きでは分かり合えません。

キャンペーンの終盤

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 キャンペーンの終盤では、体験型と創作型のいいとこ取りみたいな、素晴らしい状態になります。数々のセッションを積み重ねているので、「ハイコンテクストでも通じ合える」という奇跡の状態が発生し、PCの価値観や態度などは、もはやPLにとって馴染み深いものとなっており、第二の自分と言っても過言ではないぐらいにキャラクターに入っていける状態になっています。物語の背景世界における問題が何であるかを認識しており、他のPCやNPCとの関係性が出来上がっていて、自分が物語世界の中で何をなすべきかを自覚しています。
 感情移入、非日常の体験、カタルシス、他者との関わり……TRPGの価値とされるものの、殆どがキャンペーンの終盤で手に入れることができます。もはやこの段階に達することができれば、「体験型」だとか「創作型」だとかいちいち気にする必要はなくなります。いつものメンツといつものセッションをするだけです。それまでの過程でフレームワークを共有しておくことが、キャンペーン継続の鍵になるのです。

*1:ゲームサークル内のセッションや、見知った仲間どうしの卓ではない、フリーのコンベンションやオンセにおける不特定多数を対象とした卓。

*2:少し文学的・芸術的な試みをしようと思っている人は、「日常の中にあるちょっと素敵なもの」を表現しても面白いんじゃないかと思うかも知れません。エンタテインメントの王道だとは思いませんが、「退屈な日常」や「ストレスの多い現実」よりはロマンがあります。

*3:シノビガミ』の秀逸なところは、【秘密】という体験型に通じる要素を「誰が何個不確定情報をもっていて、手番を消費して判定に成功すれば1つ確定できる」という明確なシステムに落とし込んでいることです。こうすることで、基本は創作型のフレームワークですが、秘密部分に関しては体験型のフレームワークから創作型のフレームワークへ脳を切り替えることを容易にさせています。

*4:もちろん、簡単にギミックに気付かれてしまうこともあるわけですが、それはGMの描写をPLがきちんと聞いてくれていたということですから、悪いことではありません。PLを賞賛した後、創作型のフレームワークに移行すればよいだけです。その切替に失敗するとPLのGMに対する評価が下がることがあります。

*5:通常はトレーラーやハンドアウトに「キミは館へ突入した」などと書いておくことで、館に火を付けるような選択肢を排除します。