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『ドラクルージュ』における「耽美」を言語化する試み

 まずはこちらを|https://togetter.com/li/1006240


 耽美の捉え方は人それぞれなんですが、個人的に『ドラクルージュ』で意識しておくといいと思う「耽美」の範疇についてある程度言語化しておきます。
 ここでは「耽美」というものを幾つかの要素に分けて捉えます。『ドラクルージュ』のルルブを読んでキュンと感じる萌えポイントを要素化したものとご理解下さい。

概要

 思った以上に長文になったので4要素についてダイジェスト紹介します。

  1. 職業英雄(麗人に耽る)
  2. 異世界感(世界に耽る)
  3. 悲劇の美(余韻に耽る)
  4. ゆかしさ(妄想に耽る)

【職業英雄】
 ノブレス・オブリージュとはいわば、邦を統治する者としてのプロ意識です。民が困る、堕落者を出るといった案件は騎士にとっては職務上のミスです。私たちはしばしば仕事のできる先輩に憧れを抱きます。ただ、仕事できるアピールしてくる人はウザいですね。視点が高く、失敗は素直に認め、華麗に優雅に当然のようにリカバーできるカッコイイ人になりきって(耽って)遊べるというわけです。

【異世界感】
 常夜はある種の美しいものを詰め込んだ異次元です。常夜では独自のルールが支配していて、現実生活では見慣れない心ときめく舞台装置に彩られます。私たちが現実世界の一員であることを忘れて、異世界の因果律にリアリティを感じ、能動的に常夜の世界で生きようと藻掻くとき、美しい常夜に耽ることができるのです。

【悲劇の美】
 堕落とは悲劇です。絶対悪ではなく、かつて善だった者の末路なのだから。そして騎士たちは例外なく堕落する可能性を孕んだ存在です。恋のため、戦いのため……。堕落者と対峙した時、堕落者の生い立ちに共感を抱きます。「なぜ討たねばならぬのか」と感情が使命を留めるとき、ドラマが生まれます。そして、断罪した後の「余韻」に耽ることで心が洗われるのです。

【ゆかしさ】
 直接的な表現よりも、相手に想像を促すような表現の方がエロティシズムを感じます。人は答えを教えられると探究することを止めてしまいます。期待を抱かせつつ、完全には満たされないように期待に応えるのが魅力的です。分かりそうで分からない事柄について相手は能動的に想像を始めます。この能動的な想像が理想の物語への没入感を高めます。

(1)職業英雄

 耽美という言葉は「美に耽る」と書きます。人間にとって普遍妥当な価値として哲学でしばしば語られる「真善美」のうちの「美」を追求する態度です。「正確でリアリティを求める」や「正義、あるいは幸福を求める」といった事よりも重要視されます。
 一般的に、ゲームは勝利条件(クエスト)を達成することを目指す遊びです。従来の文脈では、目的達成のために「役立つこと」が重用視されるはずです。「ダガー」よりも「ダガー+1」の方が優れています。目的達成のための手段がゲームの主題です。より優れたアイテムを買うために資金を遣り繰りしたり、少しでも被害を避けるために扉の前で何分間も議論を重ねたりする時間が楽しいわけです。でも『ドラクルージュ』は美しさ(美しさの中には格好良さもある)を追求するという文脈で語られることもあります。
 ヒロイック*1なシステムというのは端的に「俺TUEEEE」を楽しむTRPGのことです。ヒーローになりきって、悪い奴をボコボコにして、ヒロインに普段言えないような格好いいセリフを言って、PCの活躍によってトゥルーエンドを迎える爽快感を味わうのが醍醐味です。日常生活では辛いことがたくさんありますが、「倒していい悪」を倒せば気持ちが晴れます。『トーキョーN◎VA』なんかはヒロイックを象徴しているようなシステムです(『クトゥルフ』はリアル系ですね)。
 『ドラクルージュ』の騎士たちも、そんなヒーローの基本は押さえてあります。「騎士は己を律さねばならない」「騎士は民草を守らねばならない」「騎士は堕落を許してはならない」という騎士の三つの誓いは英雄ロールプレイを推奨するものです。
 しかし、他のヒロイックな世界観と異なるのは「職業英雄」という点です。例えば「巨大企業に楯突くスラム街のヤンキー」とか「娘との約束を守るために凶悪犯と戦う父親」みたいなヒーローには向きません。主人公自身が逆境に立たされ、義憤に燃えて悪と対峙するよりは、超然とした主人公が当然の義務として正義を為す方が向いています。例えば「身分を隠して諸国漫遊をする隠居中の中納言」とか「皇女護衛の使命を与えられた超エリート軍人」とかの方が雰囲気的には近いです。
 職業英雄の萌えポイントは育ちの良さです。「庶民の気持ちが分からない」みたいな文脈で嫌われることもありますが、「王子様」や「お嬢様」というものは憧れの対象です(異性だとテンション上がりますね)。どっしり構えていて、世の中を良くすることを自分の使命だと本気で思っているようなスケールの大きい人です。故に感情的に悪を倒すのではなく、プロ意識をもって悪を倒します。堕落者に怒りをぶつけるのではなく、堕落に気づけなかった己の不手際を詫びた方が映えるのはそのためです(そこが尊い!)。
 非職業英雄は、その辺にいる普通の人と同じ立場でモノが言えるので、その時点で「俺ら」の代弁者です。一般人が英雄になるという構成自体が既にドラマチックで、ポジションそのものが魅力的です。しかし職業英雄は、見ている側が感情移入できるような親しみやすさがないと詰まらないキャラクターになってしまいます。中納言が実はお茶目な所があったり、エリート軍人が護衛対象の皇女と恋に落ちたりするから、キャラクターに深みがでるわけです。
 気をつけたいのがキャラ被りです。優雅な騎士のイメージというと皆同じような感じになりがちです。PL4人で、同じようなタイプが4人もいると、キャラが立ちません。もっと感情的なキャラクターにしてもいいんじゃないかと思います。異端PCは非職業英雄になれますね。一般人どころか、もっと極端に虐げられている者です。熱いですね。

(2)異世界感

 異世界演出も胸キュンポイントのひとつです。森とか妖精とか綺麗な部分もそうなんですが、堕落の兆しとか冥王軍のような黒い部分も含めて非現実的な法則で世界が成り立っている感じが良いですね。
 我々が法律に基づいて善悪を判断するように、彼らは紅月・真祖ドラクを意識します。堕落者を処断する際に「死ね」と言うよりも「貴卿にゲルギアンナ公の慈愛あらん事を」などと言った方が、堕落者が地獄に封印される事や、地獄の成り立ちといった背景が思い起こされ、短い言葉ながら「ここが異世界である」というインパクトが一気に脳内で巻き起こるのです。
 日常的に使うものを敢えて避けることでも、非現実感を醸し出せます。「これ」を「此」と書くだけでも何となく違和感を覚えます。常夜の騎士たちは、現代社会で息をしている自分とは違った空気感を抱いているんだろうなという感じが何となく伝わってきます。あまり見慣れない言葉や漢字を使うのも、異世界のブランド力を上げる便利な方法です。
 注意が必要なのは多用すると意味が通じず、肝心の物語とか人物の心情とかが頭に入りにくい点です。「つまりこいつが敵です」とか「つまり怒っています」とかわざわざ説明しないといけないのは切ないですね。もっと悪いのは誤解したまま(意味が分からないまま)セッションが進んでしまうことです。気持ちが入らないとロールプレイもできず、楽しくありません。
 今度は、言葉遣いという近視眼的な問題を一旦離れて、もっと視野を広くして考えたいと思います。
 人が獣になる話というと、高校時代に国語の授業で読んだ、中島敦の『山月記』を思い出します。非現実性の中にも、因果応報というか、なるべくしてなった感じがあって、寓話だからこその残酷なリアリティがあってぞっとした覚えがあります。『かちかち山』なんかも兎が狸を殺す話なんですが、残虐な報復を詳細な描写抜きに淡々と説明する感じが可愛くもあり、怖くもあります。
 寓話の特徴として、論理のおかしさがあると思います。例えば「あいつは死んだ。10年前に死んだ。俺は泣いた。10年泣いた。涙は海になった。もう涙は流れなくなった。俺は一生分の泣き顔を使い果たした。だから笑うことしかできねぇんだ」みたいな感じでしょうか。ドロドロしたドラマは一切なく、難しい描写も一切なく、子供でも理解できる。しかし想像の余地があって、心の琴線にそっと触れるもの。寓話調だから普通、真実を曝こうという野暮な考えには至りません。涙が海になった時点で科学的なリアリティは損ない、その代わりに寓話的なリアリティが姿を現します。比喩だと分かっていた方が安心して感情移入できるのです。『ワンピース』は現代人の心に刺さる寓話を挿入するのが上手い作品だと思います。

(3)悲劇の美

 英雄的な寓話は勧善懲悪的になりがちです。悪は悪らしく描かれるべきで、悪と醜、善と美は結びつきます。我々はリアルでは見た目と中身は必ずしも一致しないことを知っていますが、寓話においては全てがステレオタイプ通りです。それに堕落者を「倒すべき悪」として描くのか「救うべきヒロイン」として描くのかはっきりしないと、卓内で意見が分かれて、セッションが失敗する原因を作ってしまいます。
 悪は醜くて卑怯で非道である方が望ましいです。全く感情移入の余地がなく、躊躇いなく退治できるような存在でなくてはなりません。少なくともエンタメ的には。ゲームはエンタメコンテンツです。悪には然るべき罰が下るようなエンディングを目指そうとするのが一般的な感覚です。もし悪者に同情の余地があるならば、倒した後に改心するようなエンディングにすれば悪者は救われます。これは「倒すべき悪」ではなく「救うべきヒロイン」(殴って分からせる)に相当するものです。
 しかし第三の道があります。それが悲劇です。悪に感情移入できる余地を残しつつも、決して救うことができない物語です。正義である騎士も、嫉妬や欲望や怒りといった感情を抱きます。堕落者の生い立ちを知る中で、堕落者に感情移入し、自分も一歩間違えれば堕落者と同じ道を歩んだかも知れないと感じたとき、悲劇の涙は悪い感情を洗い流してくれるのです。
 悲劇は「決して救うことができない」というのがミソです。通常、ゲームシナリオでは、プレイヤーが努力した結果として事態が好転する物語が好まれます。プレイヤーがいくら努力をしたところで、人を救うことができないのであれば、努力する気持ちが削がれて前向きにゲームをしたくなくなります。事態の好転は物語上の報酬です。「ヒロインを助けた」とか「国が救われた」とかそういうやつです。
 そこで事態の好転以外に物語上の報酬を用意する必要が出てくるのですが、これがなかなか難しいものです。例えば絶命するヒロインに対して「信じていた彼が裏切ってなどいなかったと真実を告げる」とか「醜い姿に変えられて心を支配されるのを食い止める」とか、そんな感じでしょうか。ヒロインにも非があるパターンもあるでしょうし、避けられない運命ということもあるでしょう。そんな中でも、せめて美しい結末が迎えられれば幾許か、PLの努力も報われるのではないかと思います。
 繰り返しになりますが、薄暗い感情への感情移入と、美しい悲劇によるカタルシスは良いものです。堕落者の闇の感情に感情移入することは禁忌ですが、「なぜ禁忌なのか」と問うことが切なく心が洗われる瞬間でもあるのです。なぜ堕落者なのか。堕落が何だというのか。私がお慕いしている主はあなただけなのに。

(4)ゆかしさ

 直接的な表現を避けた方が『ドラクルージュ』っぽいという話を聞きます。「おっぱい!」と言っても全然エロく感じませんが、「探るような指先が莟に触れ……」みたいな感じで言った方が想像力を掻き立てられて顔がニヤけます。
 描写は詳しすぎないこと。説明的過ぎないこと。分かりそうで分からない、分からなそうで何となく分かる。そんな塩梅が丁度いいと思います。答えが明確な場合はそこで物語への没入が終了してしまいます。一方で垣間見えているのに全体ははっきりしないような塩梅の描写だと「莟って何だろう?」などと聞いている人が勝手に詮索を始めるわけです。聞き手が能動的に物語世界に没入するのは良いことです。記憶にも残るし、前向きにセッションに参加できるからです。
 想像の世界に巻き込める描写は良い描写です。秘すれば華です。「ゆかし」という言葉は、心惹かれ、見たい、聞きたい、知りたいと感じる様のことをいいます。ポイントは想像力を掻き立てるネタを投下することと、聞き手に想像させるための余韻を残すこと、そして野暮なことを言わないように細心の注意を払うことです。
 説明しすぎると興が冷めますし、説明が足りないと意味不明です。「ゆかしさ」の再現のためにはコミュニケーションの壁が立ちはだかっています。そこを踏まえた粋なロールプレイをしてみたいものです。

その他

 これら4つの要素はそれぞれ独立したものというわけではなく、互いに関連していたり、同じ描写でも4つの視点それぞれから捉えることができるものだったりします。耽美について話をする上での土台になればいいなと思っています。なお断っておくと、これらは『ドラクルージュ』の中での話であって、一般的な耽美について言及したものではありません。
 そもそも『ドラクルージュ』は耽美を目指して遊ぶTRPGではないという事は押さえておきたいことです。「耽美を目指して作られている」ことと「耽美を目指して遊ぶ」ことは違います。ゲームデザイナーの目標とプレイヤーの目標は違うからです*2。それでも耽美さに惹かれて『ドラクルージュ』を遊ぶ人は多いはずです。ただ、全員が全員そうではないという事は押さえておきたい事ですし、PLそれぞれが耽美に対する考え方も違うので、理想通りにはいかないはずです。「ああ、なるほど。こういうのを耽美だと思っている人もいるんだな」とか「もっとこうしていれば上手くできたかも知れないな」という視点でロールプレイを楽しめればいいんじゃないかと思っています。

*1:『ドラクルージュ』では管理すべきリソースを極限まで減らし(HPすらない!)、下々の冒険者が煩わされる問題から解放された超越的存在なのです。願えば最強の武器が具現化できます。しかし敵も超越的存在なので、物理法則では勝負がつかないことになります。存在点と堕落化によって勝敗の決着をつけることになっていますが、これは物理的なダメージ(そう演出しても問題ないんですが)というより、物語的にオチをつけるためのルールです。脇役が登場した際に、観客の目は脇役に釘付けになっていますが、ドラマを紡ぐ中で徐々に存在点が減ることで、脇役への興味を失っていき、[壁の華]になったぐらいのタイミングで観客は「もういいよ、早く次の幕を見たい」という気持ちになるというイメージでしょうか。絆はダメージのメタファーではなく、積み上げてきたドラマの重さと捉えた方がしっくりきます。そういう意味で『ドラクルージュ』は戦略性よりも物語作りに特化しています。ヒロインに助けを求められて、「で、報酬は?」とか「嘘ついているかどうかディテクトします。目標値は?」的なロールプレイが始まると格好良くないですよね。美しさの一部には格好良さも含まれると思うんですが、戦略性重視のロールプレイは(それはそれで面白いのですが)ドラマチックに楽しみたいと思っている側からすると邪魔になります。だからシステム的に邪魔なことをさせる選択肢を予め取り除いてしまっているというわけです。

*2:リプレイパートのDRの言葉が本質を突いています。即ち「このゲームをやった後は、なんでも耽美っぽく表現したくなるよね(笑)」という言葉です。自動的に耽美になるように仕組んでいるのが『ドラクルージュ』というシステムなので、遊ぶ側が無理に耽美を創り出そうとしなくてもよいという話です。