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TRPGに関するメモや随想など

ドラクルージュにおける「耽美」について

 耽美がよく分からないから『ドラクルージュ』ができないという趣旨の意見に共感しつつも、「でも、ドラクルージュってそもそも『耽美』なの?」という疑問があるわけです。恐らく「耽美、耽美」と仰っている方のほとんどが、美術史における耽美主義の文脈で「耽美」という言葉を使っているわけではないと思いますし、必ずしも日本のサブカル史における耽美系(JUNEとか)を踏まえているわけでもないでしょう。
 『ドラクルージュ』が耽美ゲーであるというのは、ルールブックのルールパートには特に書いてあるわけではありません。「耽美」という単語はリプレイパートのプレイヤー発言に見て取ることができますが(例えばP15)、「このゲームは耽美をやるゲームです」などとはどこにも書いていないのです。
 なぜ「耽美」という言葉が一人歩きをしてしまっているのか、よく分かりませんが、『ドラクルージュ』という新しいゲームの世界観を一言で表現する単語として冴えているように感じます。「耽美」という単語が、ある種の方向性や関連した作品を想起させつつも、多義的で曖昧ゆえに、創作意欲を掻き立て、魅力的にみえます。インコグ・ラボの社長さんもトークショーなどで積極的に「お耽美」という表現を使っていたと記憶しています。
 僕はこのような、ルールブック等では言明されていないにも関わらず、ゲームの雰囲気を決定づける要素として、ゲームを遊ぶ人たちによって広められた言説や、プレインググループ内で形成された文化のことを、メタ・フレーバーと呼んでいます。その上で、メタ・フレーバーと対比させるための概念として、実際にプレイヤーがロールプレイをする時に参考にし、GMがシナリオを作る時に参考にする言明された事項を置きます。これをロールプレイ・アジェンダと呼ぶことにします。
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 『ドラクルージュ』において「耽美」がメタ・フレーバーならば、ロールプレイ・アジェンダは「騎士の三つの誓い」です。すなわち「自身を律さねばならない、民草を守らねばならない、堕落を許してはならない」です。

システム メタ・フレーバー ロールプレイ・アジェンダ
ドラクルージュ 耽美 騎士の三つの誓い
ダブルクロス 中二病 ロイス/タイタス
パラノイア ディストピア 幸福は義務

 他のシステムと並べてみるとこんな感じでしょうか。異論はあると思いますが、例えばの話です(ゲームサークルによってメタ・フレーバーが違うことだってありますからね)。*1
 メタ・フレーバーは、そのシステムについて知らない人に対してカタログ的に説明する場合に威力を発揮します。特に今までTRPGをやった事がない人にシステムを紹介する際に意味のあるタームです。しかし、ちゃんとシナリオ作りたいなとか、ちゃんとロールプレイしたいなと思っている人にとっては、曖昧過ぎて意味不明なタームになっているのです。
 このようにメタ・フレーバーは、ルールブックを熟読しなくても、ゲームの方向性を掴む上で有効な手立てです。しかし、ルールブックを読み始めると、「このシステムを使って、どうやってメタ・フレーバーを実現すればよいのだろう?」という疑問に辿り着くのです。例えば「耽美にするにはどんなシナリオを書けばいいのか」「耽美とはどういうロールプレイのことか」と考えることです。
 これがメタ・フレーバーによるロールプレイ・アジェンダの侵蝕です。しかし先ほど説明した通り、ルールブックをよく読めば、『ドラクルージュ』は字義通りの意味で「耽美」を目指したシステムではないことが分かります。
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 「耽美」というスローガン(?)は、シナリオやロールプレイの目標として位置づけられるわけです。『ドラクルージュ』というシステムがどういう遊び方をするゲームなのかが十分に理解されていないうちは、影響力の強いメディアに影響され、メタ・フレーバーによってロールプレイ・アジェンダが侵蝕されます。しかし、ルールブックの分析が進み、一定の共通理解が得られるようになると、システムが想定しているロールプレイ・アジェンダ*2が浮き彫りにされ、ルールブックに書かれている事と、そうでない事の境界線がはっきりするようになります。
 



 さて、ここまで説明をして「ちょっと違うんじゃないか?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。確かに、フレーバーの話と、ロールプレイの話を対比させるのはおかしな話です。敢えてそうしたのは「耽美って何をするのか分からない!」という疑問に答えるためでした。ここで新たに「騎士の三つの誓い」をプレイすることと、「耽美」に何の関係があるのかという新たな疑問が登場するでしょう。
 結論から言いますと、何ら関係ありません。先ほど証明してみせたように、そもそも『ドラクルージュ』というシステム本体は耽美ゲーなどではないからです。ごめんなさい、夢を奪うような事を言ってしまって……。でも耽美擁護派のみなさん、安心してください。メタ・フレーバーではない、ただのフレーバーは残ります。ルールに明記されているフレーバーです。
 ドラクルージュは、[行い]の名称をはじめ、各種ゲーム用語が非日常的で詩的な雰囲気をもっています。[行い]のフレーバーや、経歴表の文章も、心揺さぶる物語を想起させるに足る内容となっています。セッション中にこれらの言葉を発することで、場の雰囲気がドラクルージュの雰囲気になるように方向付けられます(宣言なのでルール上、そう発言しなければならないわけです)。『ドラクルージュ』はプレイヤーの「発言する」「発言を聞く」というプレイを通して、個々のプレイヤーの創作意欲が刺激され、ドラクルージュ的なお話を考えたくなるように誘導している仕掛けになっています。創作的なロールプレイをあまりしないプレイヤーであっても、少なくともルールに基づいて、フレーバー付きの言葉を「発言する」ことで、無自覚にも、ドラクルージュらしいフレーバーを振りまくことに貢献することになります。リプレイパートのP15でプレイヤーAが「みんなして耽美ですね!」と発言していますが、キャラメイク時に経歴を振ってキャラが出来上がった過程の中での発言です。
 強いて言うなら『ドラクルージュ』は耽美にするゲームではなく、耽美になるゲームであり、その辺はシステムが保証しているというわけです。しかし、そのシステムの一部にプレイヤーが組み込まれているため、「耽美って何だろう?」と考えさせられてしまうのです。
 だからまず「ドラクルージュはプレイヤーに耽美であることを求めていない」という認識に立つことが大切です。これで「耽美なんだからエロくていいよね」みたいな過激派を撃退できます。とは言え、雰囲気は大事です。結局のところ耽美推進派は「雰囲気壊さないでね」「無粋なことを言わないでね」という要請を「耽美にやりましょう」に込めているのであって、「耽美」の歴史的意味や、近代主義に対するアンチテーゼとしてのチョメチョメに興味があるわけではないのです。

*1:余談ながら、「冒険者」という立場は「酒場」「依頼」「報酬」「戦闘」といった具体的なひとまとまりの行動様式を想起させますが、メタ・フレーバーの一種です。具体的に何を意識してロールプレイをすればいいのかが欠けているからです(cf.よくあるグダグダな酒場プレイ)。これに対する、「報酬、経験値、身の危険」というロールプレイ・アジェンダは非常に優れています。しかし、しばしば彼らは金銭による報酬以上の、名誉だとか、ロマンを求めて冒険に出かけることもあります。TRPGプレイヤーは魅力あるシナリオに出会った時、思いがけない決断をすることがあります。そういう意味で「耽美」というロマンは心の片隅には置いておいた方がよいキーワードなのかも知れません。

*2:ドラクルージュは、キャラクタークラス(血統と道)によってロールプレイ・アジェンダのディテールが変化します。基本的には「騎士」という点で同じなのですが、血統や道によって立ち位置が変化し、それらに応じたロールプレイをすることが推奨されます。また「騎士の三つの誓い」のひとつは「己」、ひとつは「民草」、ひとつは「堕落」です。このうち「民草」と「堕落」はゲームマスターたるDRが演じるわけです。守るべき民草と、許してはならぬ堕落を描くのが究極的にはDRの仕事というわけです。